1960年代 流行ファッション/年代流行
60年代を象徴するファッションとしてヒッピーが挙げられ、現代ファッションにも取り入れられる事が多々あります。
社会的な解放運動を行う人々のファッションから誕生した物でフレアジーンズにTシャツをメインに、インド・アフリカ・東欧などの民族をモチーフにしたものが多かった。
ビートルズの影響で流行ったモッズファッションの特徴は細身のスーツでスリムなパンツ、ミリタリーパーカーなどです。
当時、流行に敏感な若者「みゆき族」の間で大流行したファッションがアイビー・ルックです。
このファッションの特徴は、3つボタンのブレザー、ボタンダウン・シャツ、コットンパンツ、コイン・ローファー、ロングスカートにリボンベルトを結び、二つに折ったハンカチーフを頭にかぶったりと少し着崩していました。
ヒッピー
米国を中心にヒッピーが生まれたのもこの年代。ヒッピーは、伝統・制度などの既成概念、価値観に縛られた社会生活を否定することを信条とし、自然への回帰を提唱する人々の総称。1960年代後半に、おもにアメリカの若者の間で生まれたムーブメント。彼らは基本的に自然と愛と平和と芸術と自由を愛していると述べている。日本ではフーテンと呼称された時期もあるが、ファッションの観点からみると植物系の色とりどりの柄。頭のバンド等、根強い人気のあるジャンル。
モッズ
60年代半ば、ビートルズから派生したイギリスでのグループサウンズのファッション。
音楽面での衝撃とともに、彼らが着ていたモッズファッションは、日本のメンズファッションにも大きな影響を与えました。
モッズと呼ばれたこのファッションの特徴は、長髪に船員帽、水玉や花柄など派手な柄でウエストを細くしたシャツ、股上の浅いスリムパンツ、幅広ネクタイ、そしてブーツなど。
こうしたスタイルは、日本ではグループサウンズファッションとして開花します。
モッズファッションをアレンジしたミリタリー調のザ・スパイダーズ、フェミニン調なタイガースなどが代表的なバンドです。
ホンコンシャツ
テトロン素材などの半袖ワイシャツで、その速乾性で暑い日本の夏に働く男の必需品のように支持され、爆発的に売れた。忙しいビジネスマンにとって、速乾性素材が時代にマッチしていた。
船員帽
1960年代半ばに流行したモッズルックに見られる帽子のことを指す。
ダッチボーイキャップ(オランダの船員帽)をモチーフに作られたもので、しっかりとしたひさしと柔らかい印象のクラウン(山部)を特徴とする。
VAN
故・石津謙介氏によって誕生したファッション・ブランド。
石津謙介氏は1951年に独立し石津商店(後のヴァンジャケット)を設立。1957(昭和32)年にブランド「VAN」からアイビーファッションを発表した。
1960年代には、「ホンコンシャツ」と命名した半袖ワイシャツが流行したほか、「VAN」ブランドが提案したアイビー・ルックは若者の間にブームを呼び、「みゆき族」を生み出した。
VANは町の洋品店をメンズショップにに変え、百貨店の紳士服売り場を"VANコーナー"や"VAN SHOP"に衣替えさせていった。
アイビー・ルック
アメリカの8大学により結成されたフットボール連盟があり、その彼らが来ていたファッション。連盟となっている各校にはレンガ造りの校舎に生い茂る蔦(アイビー)がシンボルとなっていたことからアイビールックと呼ばれる。
彼らのずん胴型シルエット、3ボタン(上2個掛ける)という細長いストレ-トなライン、アイビーシャツとも呼ばれるほどの定番、ボタンダウンシャツを着るというファッションが流行となりました。
パンタロン
パンタロンとは、長いズボンやパンツ類をさすフランス語である。「pan」は裾で「talon」は踵。道化役者が穿いていたズボン・パンツが発祥と言われている。
日本では、1960年代後半から1970年前半にかけて、裾広がりのベルボトムが大流行していた。その頃から「パンタロン」というフランス語が、使われ始めたために、ベルボトム型のパンツを意味する言葉として使われた。
ボタンダウンシャツ
シャツカラーの衿先を見頃にボタンで留めるシャツのこと。
VANジャケット社が仕掛けたアイビーのブームによって、私服らしい私服のなかった当時の若者に爆発的に広まった。
アメリカでは上流階級のイメージだったが日本では不良というイメージだった。
コイン・ローファー
1960年代にサドル部分に1セントコインを挟むのが学生の間で流行しそこからコイン・ローファーという愛称で親しまれるようになりました。
アッパーはライニング無しの一枚革を使用し、履くほどに足に馴染みソールはレザーソール、ヒールにはラバーが張ってり、歩き易さにも考慮されています。
ミニスカート
1965年(昭和40年)8月11日、帝人が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。
美空ひばりが、1967年にテレビの歌謡番組で『真赤な太陽』を初めてミニスカート姿で歌ったことも話題となり、1960年代後半ミニスカートが大流行となった。
この当時多くの女性のミニスカートはひざ丈よりやや短い程度であった。
みゆき族
64年の5月頃から銀座のみゆき通りや並木通りに大勢の若者がたむろするようになり、みゆき通りにちなんで「みゆき族」と名づけられました。
ファッションの特徴は、男性は流行中のアイビー・ルックを少し崩したスタイル。女性はロングスカートのバックに共布のリボンベルトを結び、二つに折ったハンカチーフを頭にかぶる。
そして男女ともに、大きな紙袋か麻袋をかばん代わりに抱えていました。
紙袋はVANが大人気で、こうした袋類以外ではショルダーバッグを持つパターンもありました。
サイケ族
1967年、新宿東口駅前広場に若者の集団が現れました。
仕事もせず、特に何をするでもない彼らのファッションは、ユニセックス、汚れたTシャツにジーンズ、素足にサンダル、ショルダーバッグ、そしてヘアースタイルはモッズ以上の長髪に無精ひげといったものでした。
元々ドラッグのイメージをファッションに落としたもので、当時流行ったヒッピーやフーテンと混じって呼ばれる事もありました。彼らの中には芸術家もいて、新宿はアングラ文化の発信地ともなっていました。